― 台湾花蓮県の震災に遭われたみなさまに心よりお見舞いを申し上げます。
行方不明の方々が早く見つかりますようにお祈り申し上げます。―
こんにちは。なんだかソワソワしてしまう毎日ですが、みなさんはいかがお過ごしですか?しかし4月というと四月病・五月病の季節ですね。楽しいなどとは言っていられない気分の方も多いのではないでしょうか?
さて、今週は月の2週目「数秘の使い方」を書く週です。しかし!今回は違う方向から「占い」を語ってみたいと思います。
去年、私が台北で「占い」をしてもらった話は書きましたっけ?
私は各地で占いをしてもらっています。勉強になりますから。しかし外国で占いをしてもらったのは初めてでした。台北で有名な占いストリートに行って、鑑定していただきました。
その時の正直な感想を言わせていただくと「聞きたいことに答えてもらえなかった」という印象です。日本ではあまりそんな経験はありません。これはきっと2つの国の常識の違いだと思っています。きっと台湾のクライエント達は満足されるのだと思います。
その常識の違いについての話は、今回は置いておきましょう。
「占い」というのはクライエントと鑑定家のコミュニケーションによって作り出されます。ならば質問に答えていないというのは論外のような気がします。しかし私も鑑定家なので台北の先生が「なぜ答えなかったのか?」の理由が分かります。それが命術の限界だということです。つまり
「答えたくても答えられない」
ということでしょう。その代わり、質問していない分野について答えてくれました。「寿命」「健康」「お金」「運勢」。その辺りに強い占術だったのだと想像します。
その時、先生から「①あなたは胃が弱い!胃が弱いですよ!②ひどいことにならないうちに2025年までに健康診断を受けなさい。③あなたは人生のうちで2度手術をします。」と言われました。この3つのセンテンスを総合すると「私は2024年の間に胃の病が見つかって手術する」と解釈できます。というか「そう思い込んでしまいそう」です。
ここが「占い」の怖いところです。
①「私は胃が弱い」
②「私は2024年以内に検査を受けないとひどいことになる」
③「私は手術をしなくてはいけない」
私には先生の言葉で、3つの呪いがかけられてしまったのです。先生にはそのつもりはもちろんないでしょうが、クライエントに悪い思い込み持たせてしまった時点で、「占い」は「呪い」になっています。
その上悪いことに、その「占い」は検証のしようがありません。その「占い」が当たったのか外れたのかが判断できないのです。私の場合、2025年まで無事だったとしても ①「私は胃が弱いんだ!」 ③「私は手術をしなくてはいけないんだ!」の2つの呪いは継続します。その呪いは死ぬまで継続しつづけて、いつか年老いた私を恐怖に陥れるはずです。怖いですよね。(ところで、台北から帰ってきてすぐに私は胃カメラを飲みまして。ひとまず無罪放免になりました。)
さて、「呪い」をかけられて不安になってしまった時に呪いを解く方法はないのでしょうか?「誰か私を助けて〜!」な気分ですもの。
実は あります。占いの呪いを解く方法が。
なんと、それは「占い」です。
「目には目を、占いには占いを」です。
この場合に使える「占い」は「数秘」のように法則があって、それを当てはめていくタイプの「命術」ではなく、偶然性を用いる占い=「卜術」です。タロットカードやオラクルカード、ルーンや易、アストロダイスなど「出た目で吉凶や結果、推移を知る占い」です。「私は胃の病気になりますか?」「来年は手術をする運命なのでしょうか?」と聞き、返事を受け取ることができます。
台北の先生は私の質問に「卜術」を使って答えようとはされませんでした。それが「私の質問に答えてくれなかった」理由だと思います。きっと先生は「命術」で答えてくださったのだと思います。(もっとお高いコースだったらバッチリ答えてくれたのかもしれませんね。)「命術」には限界があります。どんな先生が鑑定しても、わからないことは語れません。
さて、ここで「数秘」。「数秘」は人間を語るには抜群に秀逸な道具だと思います。その人の深いところまでわかります。しかし、病気、商売、仕事などの事象について具体的に答えてくれる道具ではありません。そこはやはり「卜術」の出番です。
ここで自分に教訓。
「数秘に頼りすぎない。最後は卜術に助けてもらえ。」
なんと「数秘」の鑑定家として13年やってきた私の結論はここに至りました。
これからもまじめに「卜術」とつきあっていこうと思っています。
「数秘」を勉強中のみなさん! 忘れずに「卜術」もやってくださいね。
ではまた来週!