2024年4月24日 #217「『チベット死者の書』に」

 こんにちは。お元気ですか?いよいよGWが近づいてきましたね。時間ってループしてますよねえ。今回は気分で書いてみようかなと思います。何かの役に立てばいいけど。

 目の前で母と父が微笑んでいます。その間には「おじいちゃん」。今 私は自宅に居ます。3枚の遺影が並んでいます。左側に母、真ん中に父方の祖父、右側は父。みな穏やかな表情です。

 母を失った時を思い出します。あれから数年は「死」に囚われてしまい、いつもそのことを考えていたような気がします。悲しいとか寂しいとかではありません。「恐怖」です。自分が「死に飲み込まれてしまうような恐怖」をいつも感じていたような記憶です。その時に読んだのが「チベット死者の書」でした。さっき本棚を見てみたら、まだありました。22年前の本ですね。

 その時は、「きっとこの本にはなんだか良いことが書いてあって、ありがたい気持ちになって、母の死を前向きに受け止められるのではないか!」と思ったのだと思います。

 しかし全然ちがいました。すごく難しい宗教の本だったので、かなりガッカリした記憶があります。今 本を開いてみたら、わりと前のほうに栞が挟んであるので、もしかしたら早々に断念したのかもしれません。多分そう。きっとそう。

その時から「死と言えばチベットだよね」というイメージがあって、ダライラマ猊下が来日された時には法話を聞きに行ったりしました。そのうちチベットという国自体がマイブームになりました。伝統芸能を観に行ったり、チベットにちなんだ映画などを観るようにもなりました。私のあこがれの国です。

ぜひチベットに行ってみたい!

「でも標高3700メートル!高山病が怖い。」「チベットって今は中国だよね?」「ダライラマ猊下はインドに亡命しちゃったじゃない!行くならインドじゃないの?」そうやって行かない理由を探しながらチベットへの距離を縮めることなく時間が過ぎました。
  母が亡くなってから、東日本大震災があり、個人的にもいろいろあり、橙花になり、またまたいろいろあり、父が亡くなり、母の23回忌がやって来て……なんと22年も経っていました。そんなある日 思い立ちました。

で?いつ行くの?私?

 このメルマガをみなさんが読んでくださっている頃、私はネパールにいます。チベットではありませんがお隣です。まずは動き始めてみようと思いました。時間の経つのは早く、いくら情熱があっても体がついていかなくなっては元も子もありません。

 思えば、母が亡くなる時に教えてくれたのは「人間はこうやって死ぬよ」というリアルでした。そして20年経ち、今度は父が「人生にはタイムリミットがあるよ」と教えてくれました。

 カバラ数秘には生まれ変わりがあるとされています。私も転生を信じています。

一般的には生き物に永遠の命はありません。いちど生まれたからには、死ななくてはいけない。生と死はセットです。生き急がなくても、どうせいつか人生は終わります。ですから生きて体が動くうちに、今生でしたいことがあるならばやってみたほうが良いでしょうし、辞めたいと思えば辞めたら良いし、逃げたいと思えば逃げたらいいでしょう。そんな「死生観」を母と父が時間差で22年をかけて教えてくれたように思います。

今回はノープランでネパールに行こうとしています。まずは空気と香りを感じるために。あこがれの国のお隣でリアルな空気を感じてみたいと思っています。
次回は数秘の話をしましょう。また来週!

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