2024年5月1日 #218「〔2の人〕の恋愛」

 こんにちは。お元気ですか?
先週のネパールでの「ごきげん週間」も終わってしまい、日本に帰って来てからは文字通りの「多忙」な日々になってしまいました。体が忙しいだけでなく、いろいろな心理的プレッシャーもあります。「ああ〜ネパールは天国だった(泣)」

さて月の第1週は「恋愛と性」について書きます。今回は〔2の人〕の恋愛について。

〔2の人〕と言えば「優しい人。思いやりの人。自己犠牲の人」というイメージです。そんな〔2の人〕の恋はどのように始まり、進んでいくのでしょう。

実は、私の母は〔2の人〕でした。子どもの頃に聞かされていた両親の恋愛はこんな感じです。

「実は母にはすでに婚約者がいた。それなのに父がグイグイ迫って来た。ある日、父から腕時計をプレゼントされたのだけれど、父はそれを『母が結婚に承諾した』と勘違いした。母が『結婚なんてしません』と言ったら『だって腕時計を受け取ったじゃないか!結婚してくれないと困る!』と言われてしまい、結婚するはめになった」

子どもの頃には「そうなんだ〜。本当はお父さんと結婚するはずじゃなかったんだ〜」と単純に思いましたが、大人になってから考えてみると、ちょっとおかしいですね。あまりにも母の意思が感じられません。父も母も亡くなってしまったので真実を知ることはできませんが……。

でも〔2の人〕の恋愛を語るにはなかなかよくできた物語だと思います。〔2の人〕の恋は相手からのアプローチがあって始まることが多いからです。そもそも柔和で優しいし、よく気が利く〔2の人〕です。異性から好意を寄せられることは多いはずです。たとえば意志の強い〔1の人〕や合理的な思考の〔4の人〕などは、自分で相手を決めてから恋愛を始めます〔2の人〕にとって愛の対象は「自分を必要としている人」という大前提があります。

そもそも 自分発信での恋愛は、あまり〔2の人〕らしくはありません。相手からのアプローチで始まったのではなくとも、鋭い感覚を持っている〔2の人〕でしたら「自分を必要としている誰か」「自分に好意を寄せている誰か」にすぐ気づきますし、その相手に心優しい〔2の人〕が寄り添うのは無理がありません。欲望のままに、情熱のままにするような恋は〔2の人〕にとっては不向きなのではないでしょうか。

さて、やんわりとお互いの好意の確認や相手からのアプローチがあってから〔2の人〕の恋は始まります。そして〔2の人〕は愛されていることを実感し、必要とされていることを味わいながら継続していきます。強い力で引っ張ってくれる相手からはホッとできる安心感を、自分がいてあげないとダメになってしまうような危なっかしい人は〔2の人〕に生きがいを与えてくれるかもしれません。

もし〔2の人〕「この人じゃないような気がする」といったような違和感が芽生えたとしても、なかなか〔2の人〕のほうから別れを切り出すのは勇気が必要です。結果的に押し切られるような形で結婚へと向かうかもしれません。その違和感が「私は必要とされていない」「私は相手から愛されていない」といった〔2の人〕の存在意義に関わるような場合を除いては。

ここまで読んでいただいた他の数字のみなさんは〔2の人〕って優柔不断なの?と思われるでしょう。しかし〔2の人〕「人を支えることが最高の喜びだと感じている人だ」と想像すると、ちょっとイメージが変わっていくのではないでしょうか。

〔2の人〕を愛し、必要とした人だけが〔2の人〕からも大切にしてもらえる

常人にはわからない「愛と慈愛の人だけがする特別の恋愛」があるのだと思います。なんだか素敵ですよね。
確かめることはできませんが、私の両親もそんな恋愛であったのだろうと思います。きっと。いや、そうでないと困ります(笑)。

では、また来週!

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