2024年7月24日 #230「ロングスパンで見た〔1の人〕」

こんにちは。お元気ですか?
毎日暑いですね〜。子どもの頃は夏ってのんびりした感じだったんですが、このところ「生きるか死ぬか」みたいなサバイバルの季節になってしまった感がありますね。みなさんもご自愛くださいね。

さて、月の4週目は「ひとつの数字」。今回は〔1の人〕について書いてみます。
私が〔1の人〕と聞いて真っ先に思い出すのは私の2歳上の兄です。兄は〔鍵の数1〕〔魂の数1〕の人。生粋の〔1の人〕ですね。

子どもの頃はあの暴君のような兄をやっつける方法はないものかといつも考えていました。殴りこそしませんでしたが、ほぼ毎日、髪を引っ張り合うような壮絶な喧嘩をしていたのです。その上ちょっかいを出してきてうるさいし、バカにするし、横暴で怖いし、たしか中学生の頃は2年間、口を聞かない時期がありました。兄は何か言っていましたが、私が完全無視をしていた2年です。笑

その記憶があるので私にとって兄は苦手な人でした。大人になってからも何かと偉そうなことを言っているし、人の話は聞かないし、自分の言うことを聞け!的な態度でしたし。反論するとバカにするし。(こう書いていても腹が立ってきますね。それに子どものころと全然変わってない!)

2年前に父が亡くなりました。それまでの3年間、私たち家族には介護と看病の時期でした。
その間に兄がしてくれたのは闘病から葬式までの全ての費用を出してくれたことです。父が入院した時に持って行った金銭をいちども受け取ろうとはしませんでした。
そして父の体調が急変した時、父の延命について医師から説明を受けた時、「もうお父さんを見送ろうよ」とドライに言った私へ兄の返事は「まだ諦めきれない」の一言でした。「兄にそんな愛情があったのか!」と普段の様子とは違う兄の姿を見て驚いたことを覚えています。

母が亡くなって22年経ち、父を送って私たち兄妹が残りました。思い返してみると、父がらみのトラブルや病気がちな母など波乱万丈な家庭だったと思います。その一連の流れの中の兄と、今の平和そうな兄の家族を見ていて感じるのは「見事に責任をとっているんだな」ということです。
子どものころに私の髪を引っ張ったり、打ち上げ花火をこちらに向けて飛ばしたあのバカ兄がこんなに大人だったんだ!と。(先日、打ち上げ花火事件のことを語ってみたら、兄も覚えていて「あれはお前が悪い!」とまだ言っていました。笑)

母が亡くなって2年後に数秘と出会いました。さっそく兄の数字を調べてみると納得しかありませんでした。〔1の人〕の中の「俺様気質」の項を読んで大笑いしたものです。私が〔1の人〕と長く一緒にいて感じるのは

〔1の人〕は「やるべきことはやる人」で、責任を取ります。
暴君に見えるかもしれませんが、心根は温かく愛情深い一面があります。


もうそれだけで十分なのではないかと思いました。仲の良い兄夫婦を見ていると〔1の人〕っていいなと思っています。(ちなみに義姉も〔1の人〕です)

いろいろ困ったこともあるけど、〔1の人〕はハッキリしているし素直でいい

というお話でした。
それではまた来週!